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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)2002号 判決

原告 杉浦二三男 外五名

被告 杤木合同輸送株式会社

補助参加人 名古屋港湾労働組合

主文

一  原告杉浦二三男、同須甲英夫、同大西勝廣、同高津国利及び同水谷国男と被告間において、右原告らが被告に対しそれぞれ労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  原告山下龍保と被告間において、右原告が被告に対し出向労働者としての権利を有する地位にあることを確認する。

三  被告は原告らに対し、別紙債権目録(一)記載の金員および昭和五五年九月二一日以降本判決確定の日まで毎翌月二七日限り一か月当り別紙債権目録(二)記載の金額の割合による金員をそれぞれ支払え。

四  原告らの本訴請求のうち、被告に対し本判決確定の日の翌日からの賃金の支払を求める部分は、これを却下する。

五  原告らのその余の請求を棄却する。

六  訴訟費用のうち、補助参加によつて生じた分は補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。

七  この判決は、第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告らが被告に対しそれぞれ労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は原告らに対し、別紙債権目録(三)記載の金員および昭和五五年一〇月以降毎月二七日限り別紙債権目録(四)記載の金員をそれぞれ支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

(請求の原因)

一  当事者

(一)(1) 原告山下以外の原告らは、いずれも昭和四二年四月一日被告に雇用され、艀船員として勤務してきた。

(2) 原告山下は、昭和三六年三月二七日、訴外藤木海運株式会社(以下藤木海運という)に雇用され、艀船員として勤務していたが、昭和五一年八月二一日被告に転籍し、以来被告の従業員(艀船員)として勤務してきた。

原告山下の藤木海運から被告への移動が、いわゆる在籍出向(出向元の従業員としての資格を保有しつつ、出向先の指揮監督のもとに労務を提供すること)ではなく、転籍(出向元における従業員としての資格を失い、出向先に再就職すること)であつたことは、次の諸事実から明らかである。

(イ) 被告は、港湾労働法一三条一項に基づき、昭和五一年一二月六日名古屋港労働公共職業安定所長に対し、原告山下を同年八月二一日に雇入れた労働者として届け出ていること。

(ロ) 被告は、昭和五三年三月三一日、原告山下に対し、野嵜業務部長を通じて他の原告らと同時に口頭で解雇の意思表示をするとともに、右同日付の内容証明郵便で解雇の意思表示をしていること。

また、右解雇に当つて、被告は原告山下に対し、解雇予告手当および退職金を提供した上、右各金員を供託したが、その供託書には、「供託者(被告のこと)は被供託者(原告山下のこと)の使用者である」との記載および「供託者が被供託者を解雇するに際し」との記載があること。

(ハ) 原告山下は、被告に移つて以来、被告から支給された被告のマーク入りの作業服、ヘルメツトを着用し、被告の指揮監督のもとに、艀船員として他の被告の艀船員と全く同様の仕事に従事していたこと。

(ニ) 原告山下が藤木海運に在籍していた当時、賃金は月給制で毎月二五日に藤木海運から支給を受けていたが、被告に移つてからは日給月給制に変わり、毎月二七日に被告から支給を受けるようになつたこと。

なお、被告は、原告山下を藤木海運から被告に在籍出向させるに当り、藤木海運と被告との間で、原告山下の被告における給与が出向していなければ藤木海運から支給を受けたであろう給与を下回る場合は、その差額を藤木海運において原告山下に直接支払う旨の合意が成立したと主張しているが、原告山下が藤木海運から右差額金の支給を受けたことは一度もない。

(ホ) 原告山下が昭和五三年三月一〇日頃、自己の籍が藤木海運にあるのか被告にあるのかの点を被告の馬渕業務部次長および深谷監督に尋ねたところ、深谷監督は直ちに藤木海運の人事部に架電して確認した上、「被告に籍がある」旨答えたこと。

(3) 仮に、原告山下の藤木海運から被告への移動が在籍出向であつたとしても、昭和五一年八月二一日以降、原告山下は被告の指揮監督のもとに艀船員として労働に従事し、被告は右労働の対価として原告山下に対し賃金を支払つてきたのであるから、その後被告と原告山下との間にも労働契約が成立したとみるべきである。

(二) 被告は、港湾運送事業、倉庫業等を営み、従業員約三〇〇名を擁する資本金一億円の株式会社である。

二  原告らの解雇

被告は原告らを解雇したとして昭和五三年四月一日以降、原告らが被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることを争つている。

三  原告らの賃金等請求権

(一) 月額給与

(1) 原告らは、本件解雇当時、被告より毎月二七日限り、前月二一日から当月二〇日までの分の月額給与の支払を受けていたが、本件解雇前三ケ月間の月額給与の平均額は次のとおりであつた。

原告杉浦 二二万三九一九円

同 須甲 一七万七一八〇円

同 大西 二一万七八六〇円

同 高津 二二万六〇二〇円

同 水谷 二〇万〇〇一〇円

同 山下 一九万七八二〇円

また、原告らの本件解雇当時およびそれ以降の役職、扶養家族は、次のとおりである。

役職    扶養家族

原告杉浦 主任 妻、子供二名

同 須甲    妻(但し、昭和五五年一月より)

同 大西 班長 妻、子供二名

同 高津 主任 妻、子供二名

同 水谷    妻、子供一名

同 山下    妻、子供一名(但し、昭和五四年八月より子供二名)

(2) 被告は、昭和五三年から同五五年までの間、毎年月額給与の昇給を実施しており、毎年四月から従業員に対し昇給額を支給しているが、右各年度の昇給基準は次のとおりである。

(イ) 昭和五三年度(当年四月より翌年三月まで、以下同じ)

二〇〇円(基本給日額)×二五+六〇〇〇円(付加給一律)=一万一〇〇〇円

右に加え、役付手当である主任手当が三〇〇〇円、班長手当が二〇〇〇円増額された。

(ロ) 昭和五四年度

一五〇円(基本給日額)×二五+三〇〇〇円(付加給一律)=六七五〇円

右に加え、家族手当のうち妻の分が一律一五〇〇円増額され、従前四五〇〇円であつたのが六〇〇〇円になつた。

(ハ) 昭和五五年度

一五〇円(基本給日額)×二五+六〇〇〇円(付加給一律)=九七五〇円

右に加え、家族手当が扶養家族一人につき一〇〇〇円宛増額され、妻の分は七〇〇〇円に、子供の分は一人当り二〇〇〇円になつた。

(3) したがつて、原告らの昭和五三年度ないし同五五年度の各月額給与額および昭和五三年四月分から同五五年九月分までの間の月額給与の合計額は、別表(一)記載のとおりである。

なお、仮に、家族手当が、当該従業員から被告に対して扶養家族の発生、増加の届出がなされて始めて支給される取扱であるとしても、原告須甲、同山下は、名古屋地方裁判所昭和五五年(ヨ)第九七一号事件の仮処分申請書により被告に対し扶養家族の発生、増加を申告済みである。

(二) 一時金

(1) 被告は、毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給しているが、昭和五三年夏季以降同五五年夏季までの一時金は、次の基準で支給された。

(イ) 昭和五三年夏季

基本給日額×二五日×二・三六+役付手当×四+技能手当×二

(ロ) 同年冬季

(基本給日額×二五日×二・三六+役付手当×四+技能手当×二)×一・二

(ハ) 昭和五四年夏季

基本給日額×二五日×二・五六+役付手当×四+技能手当×二

(ニ) 同年冬季

(基本給日額×二五日×二・五六+役付手当×四+技能手当×二)×一・二

(ホ) 昭和五五年夏季

基本給日額×二五日×二・六二+役付手当×四+技能手当×二

(2) 原告らの昭和五二年度ないし同五五年度の基本給日額は、別表(二)記載のとおりである。

(3) 原告杉浦、同高津は、いずれも主任であり、原告大西は班長であるところ、各年度の役付手当は次のとおりである。

五二年度   五三年度   五四年度 五五年度

主任手当 一万二〇〇〇円 一万五〇〇〇円  同上   同上

班長手当   六〇〇〇円   八〇〇〇円  同上   同上

また、原告らの技能手当は、いずれも六〇〇〇円である。

(4) したがつて、原告らの昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金額およびその合計額は別表(三)記載のとおりである。

(三) 諸手当

(1) 花見代

被告は、毎年四月一〇日に花見代という名目で全従業員に一万円宛支給している。

(2) 祝儀

被告は、毎年七月二〇日に行なわれる港祭の際、全従業員に港祭の祝儀として五〇〇〇円宛支給している。

(3) 初出手当

被告は、毎年一月四日に初出を祝つて全従業員に一〇〇〇円宛支給している。

(4) 行楽代

被告は、毎年七月に夏の行楽代を左記基準にて全従業員に支給している。

本人分 六〇〇〇円

中学生以上の扶養家族(大人)一人につき 六〇〇〇円

小学生以下の扶養家族(小人)一人につき 三〇〇〇円

(5) 昭和五四年春闘解決一時金

被告は、昭和五四年春闘が解決した際、全従業員に一律四万円を支給した。

(6) 祝金

被告は、特別慶弔見舞金規定に基づき左記のとおり祝金を支給している。

結婚祝    一万円以上

子女の出産祝 一子につき二〇〇〇円以上

(7) 原告らは、いずれも被告の従業員であるから、他の従業員と同様に以上の諸手当が支給されてしかるべきである。

(イ) 本件解雇の翌日である昭和五三年四月一日から昭和五五年九月三〇日までの間に被告の全従業員に一律に支給された花見代、祝儀、初出手当および昭和五四年春闘解決一時金の合計額は八万七〇〇〇円になる。

(ロ) 行楽代の基準となる各年度の七月時点における原告ら各自の扶養家族数は次のとおりである。

五三年     五四年     五五年

原告杉浦 大人三     同上      同上

同 須甲 ○       ○       大人一

同 大西 大人一、小人二 大人二、小人一 大人三

同 高津 大人二、小人一 同上      大人三

同 水谷 大人一、小人一 同上      同上

同 山下 大人一、小人一 同上      大人一、小人二

したがつて、原告らが被告より支給を受けるべき行楽代は、次のとおりである。

原告杉浦 七万二〇〇〇円

同 須甲 二万四〇〇〇円

同 大西 六万三〇〇〇円

同 高津 六万六〇〇〇円

同 水谷 四万五〇〇〇円

同 山下 四万八〇〇〇円

(ハ) 原告須甲は昭和五五年一月一五日に婚姻し、原告山下の妻は昭和五四年八月三日に次男を出産したから、被告は、原告須甲に対し一万円以上の結婚祝金を、原告山下に対し二〇〇〇円以上の出産祝金を支給すべきである。

仮に、結婚祝金および出産祝金が、当該従業員から被告に対して婚姻の届出や出産の届出がなされない限り支給されない取扱であるとしても、原告須甲、同山下は前記仮処分申請書により被告に対し婚姻および出産の事実をそれぞれ申告済みである。

(8) したがつて、原告らに支払われるべき諸手当の合計額は次のとおりである。

原告杉浦 一五万九〇〇〇円

同 須甲 一二万一〇〇〇円

同 大西 一五万円

同 高津 一五万三〇〇〇円

同 水谷 一三万二〇〇〇円

同 山下 一三万七〇〇〇円

(四) 以上の次第であるから、本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日から同五五年九月二〇日までの間の被告の原告ら各自に対する未払金総額は、別紙債権目録(三)記載のとおりである。また、同年九月二一日以降の原告らの月額給与額は別紙債権目録(四)記載のとおりである。

四  結論

よつて、原告らはそれぞれ被告に対し、原告らが被告に対し労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、別紙債権目録(三)記載の各金員および昭和五五年一〇月以降毎月二七日限り同目録(四)記載の各金員の支払を求める。

(請求原因に対する被告の認否および主張)

一(一)  請求原因一(一)(1)の事実は認める。

同(一)(2)の事実のうち、原告山下が昭和五一年八月二一日被告に転籍し、以来被告の従業員(艀船員)として勤務してきたとの点および昭和五三年三月一〇日頃被告の深谷監督が藤木海運の人事部に架電して原告山下の籍が藤木海運にあるのか被告にあるのかの点を確認した上、同原告に対し「被告に籍がある。」と答えたとの点は否認するが、その余は認める。

原告山下は、昭和五一年八月二一日藤木海運から被告へ在籍出向したものである。

藤木海運は、被告の総株式の四〇パーセントを保有し、一方、被告は、藤木海運からその艀取扱貨物作業の全部と船内取扱貨物作業の一部を下請し、右下請作業の被告における仕事量は、被告の総仕事量の二〇パーセントないし三〇パーセントを占めているのであつて、両会社は、被告の設立経緯と相俟つて密接不可分の関係を有している。

そのため、両会社間では頻繁な人事交流がなされているが、その形式は、藤木海運から被告への在籍出向が殆どで、昭和五四年一二月五日現在、被告には右出向従業員が七一名存している。両会社間には、従業員の出向派遣に関する契約文書は取り交わされていないが、藤木海運から被告への大量の出向従業員の派遣の歴史の中で、出向者に関する一般的取扱方法が確立されている。

すなわち、出向により給与等が低下した場合は、低下分を藤木海運が補填すること、退職金については、退職時点において藤木海運と被告における勤続年数とを通算した上、藤木海運の退職金規定にしたがつて計算した金額を支給すべき退職金総額とし、そのうち被告に出向していた期間分について被告の退職金規定に基づいて計算した金額を被告が支払い、残額を藤木海運が支払うこと、身分は藤木海運に在籍のままであること、その他の労働条件についても可能な限り藤木海運と同様にする取扱が確立している。

ところで、藤木海運は、昭和五一年八月頃、その保有の艀三隻を被告に譲渡し、艀部門の作業がなくなることになつたため、それまで右作業に従事していた原告山下を含む艀船員五名の処遇を考えなければならなかつたところ、被告にとつても年齢の若い艀船員を受入れるのであれば労働力の若返りになつてよいし、藤木海運にとつても艀船員を慣れない職場に配置転換するよりも慣れた業務に従事して貰つた方がよいと考えていたことから両会社の利害が一致し同月中旬頃両会社間において、原告山下を含む若い艀船員を、前記の両会社間の出向に関する一般的取扱どおりの条件で藤木海運から被告に在籍出向させる旨の出向者派遣契約が成立した。

そこで、藤木海運は、原告山下ら三名の艀船員に対し、昭和五一年八月初旬頃と中旬頃の二回に亘り、出向の理由、形態、給与、賞与、退職金その他の労働条件についての取扱等、出向の全内容を説明し、右三名から出向の同意を得た上、被告への在籍出向を命じた。

原告山下が在籍出向従業員であることは、次の諸事実からも明らかである。

(イ) 藤木海運が人事管理のため保存している原告山下の人事記録簿の社内履歴欄には昭和五一年九月一日付で被告へ出向した旨記載されていること。

(ロ) 原告山下は、出向に当つて藤木海運から退職金を受領していないこと。

(ハ) 原告山下は、被告へ出向後、藤木海運での年功を引継いで有給休暇を取つていること。

(ニ) 被告において原告山下を配置転換する場合は、必ず藤木海運の総務部に相談することになつていること。

(ホ) 被告は、原告山下に対し本件解雇の意思表示をするに当り、藤木海運にその旨の通知をし、これを受けて藤木海運も昭和五三年三月三一日原告山下に対し口頭および書面で解雇の意思表示をするとともに、両会社間の出向従業員に関する前記取扱に基づき藤木海運が支払うべき退職金等につき現実の提供をし、供託していること。

同(一)3の事実のうち、原告山下が昭和五一年八月二一日以降被告の指揮監督のもとに艀船員として労働に従事し、被告が右労働の対価として原告山下に対し賃金を支払つてきたことは認めるが、その余は否認する。

(二)  同(二)の事実は認める。

二  請求原因二の事実は認める。

三(一)  請求原因三(一)(1)の事実は認める。

同(一)(2)の事実については、昭和五三年度ないし同五五年度の月額給与昇給額の計算方式のうち基本給日額の部分は否認するが、その余は認める。

同(一)(3)の事実のうち、原告大西に関する部分は認めるが、その余は否認する。

月額給与の昇給額についての被告の主張は次のとおりである。

(イ) 基本給日額の昇給額

原告ら主張の昭和五三年度ないし同五五年度の月額給与昇給額の計算方式のうち、基本給日額については勤怠査定減額および勤務評定加減給がなされており(したがつて、基本給日額が全従業員に一律に二〇〇円あるいは一五〇円とされた訳ではない)、その方法は、次のとおりである。

i) 昭和五三年度

(a) 欠勤がある者の場合

200円-勤怠査定減額+勤務評定加給

(b) 欠勤がない者の場合

200円-勤務評定減額

右の勤怠査定減額は、昭和五二年三月二一日から同五三年三月二〇日までの間の欠勤日数を左の表(1)のように欠勤内容により点数に換算し、その点数により左の表(2)のとおり減額する。

表(1)

(1日につき)

内容

欠勤点数

公傷

0.7

私病届休み

1.0

無届

2.0

表(2)

欠勤点数

減額金

0~8

0

9~16

50

17~24

100

25~32

150

33~

200

次に、勤務評定加減給は、被告が毎年四月頃に行なつている前年度(前年三月二一日から当年三月二〇日まで)の勤務評定に基づく評点により左の表にしたがい加・減給した。

A表(欠勤による減額のある者に適用)

増額

評点

五〇円

八・〇以上

B表(欠勤による減額がない者に適用)

減額

評点

五〇円

七・九九以下

勤務評定の仕方は、協調性、注意力、責任感の三項目のそれぞれについて管理者級の役付者数名が査定し、評価がよいとする者に三点、悪いとする者に一点、平均であるとする者に二点を与えるいわゆる三項目三点法であり、その合計点数を評定者数で除した平均値をもつて評点とする。但し、右数名の者の評定の差異が著しいときは、作業担当次長において修正する。

ii) 昭和五四年度および同五五年度

(a)  欠勤がある者の場合

150円-勤怠査定減額+勤務評定加給

(b)  欠勤がない者の場合

150円-勤務評定減額

右の勤怠査定減額は、昭和五四年度の場合は同五三年三月二一日から同五四年三月二〇日までの間の、昭和五五年度の場合は、同五四年三月二一日から同五五年三月二〇日までの間の欠勤日数を、欠勤内容により別に定められた点数に換算し、その点数により別に定められた金額を減額するものであるが、この間における原告らの勤怠については、いずれも一〇〇%出勤とみなすのでその詳細は省略する。

次に、勤務評定加・減給については、前同様の三項目三点法による勤務評定に基づく評点により左の表にしたがい加・減給した。

A表(欠勤による減額のある者に適用)

増額

評点

五〇円

五・五以上

B表(欠勤による減額がない者に適用)

減額

評点

五〇円

五・四以下

(ロ) 仮に支払われるべきとした場合の原告ら(原告大西を除く、以下同じ)の月額給与昇給額

i) 昭和五三年度

(a)  原告らの最終的勤務評点

原告らは、昭和五三年度賃金改訂のとき被告に在籍していなかつたため、前記勤務評定はなされていない。

したがつて、被告に現存している資料で最も近接のものを使用するのが合理的であるところ、被告に存在する勤務評定についての唯一の資料は、昭和五二年冬季一時金支給の際のものであり、これによると、原告らの勤務評定の最終平均評点は次のとおりである。

原告杉浦 六・五

同 須甲 四・〇

同 高津 四・五

同 水谷 五・五

同 山下 五・〇

(b)  原告らの欠勤点数

原告らのうち、原告水谷以外は欠勤がなかつたから欠勤点数はゼロであるが、原告水谷は公傷による欠勤が四四日あつたから、前記表(1)により欠勤点数に換算すると三〇(小数点以下切捨)になる。

(c)  原告らの月額給与昇給額

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五三年度の月額給与昇給額を試算すると別表(四)記載のとおりになる。

ii) 昭和五四年度および同五五年度

(a)  原告らの最終的勤務評点

前同様の理由により昭和五二年冬季一時金支給の際なされた勤務評定を根拠に原告らの最終平均評点を算出すると、昭和五三年度と同様になる。

(b)  原告らの月額給与昇給額

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五四年度および同五五年度の月額給与昇給額を試算すると別表(五)、(六)記載のとおり(但し家族手当については届出のないものは計上していない)になる。

(二) 同(二)(1)の事実のうち、被告が毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給していることは認めるが、その余は否認する。

同(二)(2)の事実のうち、原告大西に関する部分およびその余の原告らの昭和五二年度基本給日額は認めるが、その余は否認する。

同(二)(3)の事実は認める。

同(二)(4)の事実のうち、原告大西に関する部分は認めるが、その余は否認する。

一時金についての被告の主張は次のとおりである。

(イ) 昭和五三年夏季一時金

被告は、艀船員に対し次の計算式によつて算出される金額を支給した。

{(基本給日額×25日)×236+(役付手当×4)+(技能手当×2)}×勤怠率×勤務評価率

勤怠率は、昭和五二年九月二一日から同五三年三月二〇日までの間の欠勤の有無に関するものであるが、原告らは右の期間中いずれも欠勤がなかつたので一〇〇パーセントである。

勤務評価は、五項目(責任感、積極性、協調性、技能技術、安全意欲)五点法で、その評価の仕方は、前記各年度の昇給のときと同じである。そして、一項目当りの平均評点が三・〇以上の者は勤務評価率を一〇〇パーセント、二・九九以下の者は九五パーセントとした。

ところで、原告らについては勤務評価をしていないので、昭和五二年冬季一時金支給の際の勤務評価を援用することとするが、右勤務評価の方法は三項目三点法であつたので、三項目三点法による評点を、「三項目三点法による評点×5/3×1/3」なる計算式によつて五項目五点法による評点に引直して一項目当りの平均評点を算出すると、原告ら(原告大西を除く、以下同じ)の一項目当りの平均評点および一時金支給率は次のとおりになる。

評点   支給率

原告杉浦 三・六一 一〇〇%

同 須甲 二・二二  九五%

同 高津 二・五〇  九五%

同 水谷 三・〇五 一〇〇%

同 山下 二・七七  九五%

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五三年夏季一時金の額を試算すると、別表(七)記載のとおりになる。

(ロ) 昭和五三年冬季一時金

被告は、艀船員に対し次の計算式によつて算出される金額を支給した。

{(基本給日額×25日)×236+(役付手当×4)+(技能手当×2)}×1.20×勤怠率×勤務評価率

勤怠率は、昭和五三年三月二一日から同年九月二〇日までの間の欠勤の有無に関するものであるが、原告らについてはいずれも一〇〇パーセント出勤とする。

勤務評価率は、前同様の五項目五点法による勤務評価に基づく一項目当りの平均評点が三・九〇以上の者は一〇〇パーセント、三・八九以下の者は九八パーセントとした。

ところで、原告らについては勤務評価をしていないので、前同様の理由、方法により昭和五二年冬季一時金支給の際の三項目三点法による勤務評価に基づく評点を五項目五点法による勤務評価に基づく評点に引直して一項目当りの平均評点を算出すると、原告らの一項目当りの平均評点および一時金支給率は次のとおりになる。

評点  支給率

原告杉浦 三・六一 九八%

同 須甲 二・二二 九八%

同 高津 二・五〇 九八%

同 水谷 三・〇五 九八%

同 山下 二・七七 九八%

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五三年冬季一時金の額を試算すると別表(八)記載のとおりになる。

(ハ) 昭和五四年夏季一時金

被告は、艀船員に対し次の計算式によつて算出される金額を支給した。

{(基本給日額×25日)×256+(役付手当×4)+(技能手当×2)}×勤怠率×勤務評価率

勤怠率は、昭和五三年九月二一日から同五四年三月二〇日までの間の欠勤の有無に関するものであるが、原告らについてはいずれも一〇〇パーセント出勤とする。

勤務評価率は、昭和五三年夏季一時金のときと同様であるから、原告らの一時金支給率も昭和五三年夏季一時金のそれと同じである。

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五四年夏季一時金の額を試算すると別表(九)記載のとおりになる。

(ニ) 昭和五四年冬季一時金

被告は、艀船員に対し次の計算式によつて算出される金額を支給した。

{〔(基本給日額×25日)×256+(役付手当×4)+(技能手当×2)〕×1.20}×勤怠率×勤務評価率

勤怠率は昭和五四年三月二一日から同年九月二〇日までの間の欠勤の有無に関するものであるが、原告らについてはいずれも一〇〇パーセント出勤とする。

勤務評価率は、昭和五三年夏季一時金のときと同様であるから、原告らの一時金支給率も昭和五三年夏季一時金のそれと同じである。

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五四年冬季一時金の額を試算すると、別表(一〇)記載のとおりになる。

(ホ) 昭和五五年夏季一時金

被告は、艀船員に対し次の計算式によつて算出される金額を支給した。

{(基本給日額×25日)×262+(役付手当×4)+(技能手当×2)}×勤怠率×勤務評価率

勤怠率は、昭和五四年九月二一日から同五五年三月二〇日までの間の欠勤の有無に関するものであるが、原告らについてはいずれも一〇〇パーセント出勤とする。

勤務評価率は昭和五三年夏季一時金のときと同様であるから、原告らの一時金支給率も昭和五三年夏季一時金のそれと同じである。

以上のことを前提として、仮に原告らに支払われるべきとした場合の昭和五五年夏季一時金の額を試算すると別表(二)記載のとおりになる。

(三) 同(三)(1)の事実のうち、支給金の名目、支給日、支給対象の点は否認するが、その余は認める。

被告は、毎年四月中旬頃作業職の全従業員に対し慰安会費として一万円宛支給しているのである。

同(三)(2)(3)の事実は認める。但し、毎年七月二〇日は海の記念日である。

同(三)(4)の事実は否認する。

被告は、昭和五三年度までは毎年七月に行楽代を支給してきたが、昭和五四年以降は廃止している。昭和五三年に支給した行楽代は、全従業員を対象として長島温泉の全券付入場券をその家族構成により配付したものであつて、金銭を支給したものではない。

同(三)(5)の事実のうち支給金の名目、支給対象の点は否認するが、その余は認める。

被告は、昭和五四年昇給一時金として作業職の全従業員に対し四万円宛支給したものである。

同(三)6の事実は認める。

同(三)(7)の冒頭の事実は争う。同(イ)の事実は認める。同(ロ)の事実のうち、原告らの扶養家族数は認めるが、その余は否認する。同(ハ)の事実のうち、原告須甲が昭和五五年一月に結婚し、原告山下の妻が昭和五四年八月に子を出産したことは認めるが、その余は否認する。

同(三)(8)の事実は否認する。

家族手当、結婚祝金および出産祝金についての被告の主張はつぎのとおりである。

原告須甲は扶養家族ができたとして家族手当の請求をし、原告山下は扶養家族がふえたとして家族手当の増額請求をしているが、被告においては、家族手当は扶養家族の発生、増加について当該従業員から被告に対して届出がなされて始めて届出のなされた月から支給されることになつているところ、右原告らはこれまで右届出をしておらず、一切の届出行為らしきものもしていないから、被告は右原告らに対して右家族手当を支払う義務はない。また、結婚祝金および出産祝金についても当該従業員から結婚届出あるいは出産届出がなされない限り支払われない取扱であるところ、原告須甲、同山下は被告に対し右届出をしていないので、被告は右原告らに対して右祝金を支払う義務はない。

(四) 同(四)の事実は否認する。

(請求原因に対する補助参加人の認否)

一(一)  請求原因一(一)(1)の事実のうち、雇用年月日の点は否認するが、その余は限める。

原告山下以外の原告らが被告に雇用された日は、被告設立の日である昭和四二年三月一四日である。

同(一)(2)の事実のうち、原告山下が藤木海運に雇用され、艀船員として勤務していたことは認めるが、その余は争う。

同(一)(3)の事実は争う。

(二)  同(二)の事実は認める。

二  請求原因二の事実は認める。

三  同三の事実はすべて不知。

(被告の抗弁)

一  原告山下以外の原告らに対する被告からの解雇

(一) 補助参加人名古屋港湾労働組合(以下参加人組合という)は、現在被告の多数の従業員を同組合杤木合同分会に組織しているものであるが、被告との間に次のような内容のユニオン・シヨツプ協定(以下本件ユ・シ協定という)を締結している。

すなわち、被告と参加人組合との間の労働協約には左記のような定めがある。

第九条(ユニオンシヨツプ制)

(1) 甲(被告のこと、以下同じ)に雇用された従業員で、下記の第一〇条に該当する以外の者は、総て完全雇用と同時に自動的に乙(参加人組合のこと、以下同じ)の組合員となる。

(2) 前項の者で甲が解雇した者は、自動的に乙を脱退する。

(3) 第一項に該当する者で、故なく乙に加入せず、乙の承諾なくして乙以外の労働組合に加入し、又は故なく乙を脱退し、若しくは除名された場合は、甲はこれを解雇する。

但し、甲・乙協議の上認めた者はこの限りでない。

第一〇条(非組合員)

(1) 甲に雇用された従業員で労働組合法第二条第一号の規定に該当する者は、乙の組合員となることから除外する。

(2) 乙の組合員で前項に該当することになつた者は、自動的に乙を脱退する。

(3) 第一項の該当者について疑義が生じた場合は、連合労使協議会で定める。

(二) 原告らは、いずれもかつて参加人組合の組合員であつて、杤木合同分会に所属していたが、昭和五三年三月一七日ごろ、参加人組合規約三八条に基づき書面をもつて右分会経由で参加人組合に対し脱退の届出をするとともに、右同日ごろ書面で全日本港湾労働組合(以下全港湾という)東海地方名古屋支部(以下名古屋支部という)へ加入の申込みをした。

右各書面はそのころ名宛人に到達したので原告らは、いずれもそのころ参加人組合を脱退し、全港湾名古屋支部に加入したものである。

(三) 原告らの参加人組合からの脱退は正当な理由のないものであるところ、参加人組合は昭和五三年三月二九日この問題につき討議をした結果、本件ユ・シ協定を適用するを相当とし、直ちに被告に解雇要求をすることに決定した。そこで翌三〇日被告に対し原告らを解雇するよう要求した。

(四) そこで被告は、昭和五三年三月三一日、原告らに対し、解雇予告手当等を提供して前記労働協約九条および就業規則二六条三項(やむを得ない業務上の都合による解雇の規定)に基づき原告らを解雇する旨の意思表示をした。

二  原告山下に対する藤木海運からの解雇

藤木海運は参加人組合との間に、被告・参加人組合間の本件ユ・シ協定と同旨の協定を締結しているところ、原告山下はその余の原告らと同様昭和五三年三月一七日ごろ同組合を脱退し、そのころ全港湾名古屋支部に加入し、そのため参加人組合より解雇要求を受けたので、同年同月三一日原告山下に対し被告をして解雇予告手当を提供させた上解雇の意思表示をした。

(抗弁に対する原告らの認否)

一(一)  抗弁一(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は認める。

(三)  同(三)のうち原告らの脱退について正当な理由がないとの部分は否認し、その余の事実は不知。

本件脱退は自己の意思に基づく選択の結果であつて、正当な理由に基づくものである。

(四)  同(四)の事実は認める。

二  抗弁二のうち原告山下が被告主張のころ参加人組合を脱退し、全港湾名古屋支部に加入したことは認めるがその余の事実は否認する。

(原告らの再抗弁)

一  解雇権の濫用

一般に、一企業内に労働組合が併存している場合、一方の組合と結ばれたユ・シ協定の効力は、他の組合に加入している者に対しては、その組合の結成が協定の締結前であるか否か、その組合員が一方の組合を離脱したものであるか否か、更にはその離脱が協定締結の前であるか否かを問わず、その者には及ばないというべきである。蓋し、憲法二八条は、いずれの組合に対しても平等に団結権を保障しているものであり、かつ、右条文により保障されている個々の労働者の有する団結権は、労働者が自己の加入する労働組合を選択する自由を含んでいるところ、仮に、労働組合併存下において、一方の組合の締結したユ・シ協定の効力が他の組合の組合員に及ぶとすれば、使用者をして一方の組合に加担せしめ、他の組合の団結権を侵害させることになり、団結権の平等の保障に反するとともに、労働者の組合選択の自由をも侵害することになり、憲法二八条の精神に反する結果を招くからである。

しかして、右の理は、ユ・シ協定を締結していない組合が企業内組合であるか、本件のように全国単一組織の企業外組合であるかによつて異なるところはないから、参加人組合と被告間の本件ユ・シ協定の効力は、参加人組合を脱退して全港湾名古屋支部に加入した原告らに及ばないというべきである。

したがつて、本件ユ・シ協定に基づき通常解雇事由該当を理由として原告らに対してなされた本件解雇は、解雇権の濫用として無効である。

二  不当労働行為

参加人組合は、昭和三〇年一月全港湾を脱退した組合員によつて結成されたいわゆる第二組合であり、労使協調路線を歩んでいる。被告をはじめ名古屋港湾業者は、いずれも全港湾を敵視し、参加人組合を育成強化してきた。

被告は、原告らが参加人組合へ脱退届を提出後、下級職制を用いて原告らの脱退を慰留しており、ここにも参加人組合を育成しようとする被告の意図が明白に現われている。

本件解雇は、原告らが参加人組合を脱退したことに対する報復攻撃であり、原告らが全港湾に加入したことを理由とする不利益取扱である。更に、本件解雇は、原告らが全港湾に加入したことをきつかけとして全港湾の影響力が拡大することを恐れ、その影響力を滅殺するためになされた見せしめのための解雇である。

したがつて、本件解雇は労働組合法七条一号および三号に該当する不当労働行為であるから無効である。

(再抗弁に対する被告の認定及び主張)

一  再抗弁一の主張は争う。

ユ・シ協定の本質は、労働力を商品として取引する労使間において、労働組合がその労働力を一手に掌握することによつて対使用者との交渉を有利に展開しようとするものである。

ユ・シ協定の効力が及ぶ範囲に関しては種々の説があるけれども、無制限説、すなわち、ユ・シ協定の効力はそれを締結した労働組合(以下締結組合という)に属しない労働者が未組織であろうと既組織であろうと、そのすべてに及ぶとする説が正当である。蓋し、ユ・シ協定の締結を手段とする締結組合による労働力の一手掌握は、既組織労働者の存在する場合にこそ特にその必要性が存するのであるから、実定法がユ・シ協定の合法性を承認している以上、ユ・シ協定の効力は、既組織、未組織の区別なく企業内の全労働者に及ぶとしなければ論理的整合性を欠くことになり。かつ、その効力の重要部分が滅殺されてしまうからである。

仮に、制限説が正当であるとしても、既得権説(ユ・シ協定の効力は、締結組合の組合員以外の既組織労働者にも及ぶが、その締結時において既に他の組合に加入していた者には及ばないとする説)又は正当事由説(締結組合からの離脱に正当な事由がある場合には、ユ・シ協定の効力は離脱者に及ばないとする説)が採用されるべきである。

ところで、参加人組合は、名古屋港付近に存在する労働組合の中で主導的な役割を果たしている最大規模の組合であり、組合活動に際しては常に組合員の意見を十分聴取し、その総意を具体的運動に反映させており、自主的民主的に運営されている。これに対し、全港湾名古屋支部は、参加人組合をはじめとする他の名古屋港々湾労働組合に対する組織妨害等を目的として各組合への執拗な加入勧誘工作により各組合の切崩しを継続して行ない、時に昭和五三年頃から右勧誘工作を一段と強化した。原告らの参加人組合からの脱退は何ら正当な理由がないのみならず、却つて、参加人組合の組織弱体化を狙い、意識的に組織妨害を企図したものである。

したがつて、本件解雇は、無制限説による場合はもとより、制限説のうち既得権説や正当事由説によつた場合においても有効であり、更に、制限説の一つである団結権平等説のうち脱退が組織妨害等不当の目的でなされた場合にはユ・シ協定に基づく解雇が許されるとの説によつた場合にも有効である。

二  同二のうち、参加人組合が昭和三〇年一月全港湾を脱退した組合員によつて結成されたいわゆる第二組合で、労使協調路線を歩んでいるとの点は不知、その余の事実は否認する。

(補助参加人の主張)

一  参加人組合について

参加人組合は、昭和三〇年一月一五日名古屋港およびその付近において港湾関係事業を行なつていた藤木海運、訴外大洋海運株式会社、同協和海陸作業株式会社の三社に勤務する労働者によつて結成された労働組合であるが、現在では、名古屋港およびその付近における港湾関係会社九社に勤務する労働者によつて組織され、昭和五三年三月末日現在で二五八三名の組合員を擁し、名古屋港付近における港湾関係の労働組合の中で最大規模のものになつている。

参加人組合がこのように発展したのは、組合結成以来組合員の利益擁護と労働条件の改善を精力的に行なつてきたためである。

すなわち、参加人組合は、毎年春の賃上または夏季および年末の一時金の交渉においても名古屋港の港湾労働者の労働組合の中において主導的役割を果たしており、参加人組合が賃上等について使用者側と精力的に交渉して妥結すると、他組合とその使用者間においてもこれを基準にして逐次妥結するという状態が長年続いている。また、参加人組合の活動によつて、賃上のほか労働協約の改正、港湾労働者年金実施の促進、労災補償上積額の増加、夏季特別有給休暇の拡大、年末年始有給休暇の拡大等の成果をあげた。参加人組合は、一つの活動をするについて各分会、支部において組合員の意見を十分に聴取し、これを分会、支部の代表者が本部執行委員会に持ちより、そこで十分に討議して、その結論を本部執行委員会として決定し、これに基づいて使用者と強力に交渉することとしている。このように、参加人組合は、常に組合員の総意を吸上げ、これを具体的運動に反映させている極めて民主的な組合である。

また、近時、労働条件の改善についても一組合のみでは改善できない事があることから、参加人組合が中心となつて東海地区港湾労働組合連絡協議会を組織し、名古屋港運協会(港湾運送事業を営む業者の団体)と労災補償の上積額増額、港湾労働者年金、年末年始の特別有給休暇などの労働条件改善について毎月一回討議し、労働者の地位向上のための活動をしている。

二  参加人組合杤木合同分会について

参加人組合杤木合同分会は、昭和四二年四月一日、被告会社に勤務する従業員を構成員として結成され、結成時の右分会所属組合員数は一七四名であつたが、その後逐次増加し、昭和五四年三月末現在で二三四名になつている。右分会は、前項で述べたような労働条件改善の活動を結成以来強力にすすめてきたが、最近の特筆すべき事例としては被告より提案された艀部門の合理化問題がある。

すなわち、被告は昭和五二年一一月中旬頃艀部門の赤字を理由にその合理化を提案してきたが、杤木合同分会としては、首切りによる合理化は許されないと考えていたことから、「会社側の一方的な業務命令による配転は認めない。艀船員による希望があれば船内沿岸作業員に配転することを認める。但し、役付者は給与ダウンすることがあるので配転しないこと」等を被告に申入れ、被告もこの申入れを承認し、このような取扱をする旨確約したのである。

三  参加人組合に対する組織妨害について

(一) 全港湾の運動方針とその展開

全港湾は昭和五二年度の定期大会で一〇〇名の組合員拡大を決めた。そして昭和五三年一月一九日の支部執行委員会で、同年二月から五月の四か月間を組織拡大月間とし、参加人組合をはじめとする名古屋港の港湾関係の組合に対し激しい切り崩し闘争を展開し始めた。

すなわち、全港湾は、参加人組合と被告との間にユ・シ協定が存在することを熟知しながら、参加人組合杤木合同分会の殆どの組合員に対し夜間加入申込書を持参し、参加人組合は何もしてくれない組合だ、全港湾なら要望を聞いてくれるとか、参加人組合杤木合同分会から数名全港湾に加入しているから君も入つてくれなどと参加人組合の切り崩しをしたのである。

(二) 原告らの行動

原告らの全港湾加入を参加人組合が知つたのは、全港湾の大塩委員長が被告に「ご通知書」なる書面を持参したと被告から聞いたのが最初であり、原告らの参加人組合に対する脱退手続書類はその後に参加人組合へ郵送されたのである。このように全港湾と原告らが一体となり原告らが全港湾の指導下に各種行動をしていることや、原告らがこれまで参加人組合に対し労働条件改善等についてもつと積極的になるべきだなどと批判的提言をしたこともないこと、原告らのうち参加人組合をつぶしてやると公言しているものがいるなどからして、原告らは、全港湾の組織妨害行為に加担し、参加人組合の組織の破壊を狙つて脱退したものといわざるを得ない。したがつて、原告らの参加人組合からの脱退は、労働組合への加入の選択の自由の範囲を逸脱したものである。

四  結論

原告らは、参加人組合から脱退する正当な理由が全くないのに分裂行動を起こして参加人組合から脱退し全港湾に加入したものであり、これを保護する理由は極めて薄い。

ところで、参加人組合杤木合同分会は、現在も二三四人の組合員を擁し、その職場における労働力の大部分を掌握しており、原告らの分裂行動によつても本件ユ・シ協定の妥当すべき統一的基盤は少しも失われていない。

したがつて、本件ユ・シ協定の効力は原告らに及ぶのであり、右協定に基づき被告のなした本件解雇は有効である。

(補助参加人の主張に対する原告らの反論)

参加人組合は、もともと、全国港湾荷役振興会加盟業者による全港湾に対する切り崩しの結果誕生したものであつて、専ら労使協調を旨とし、労働問題については組合員の意見、要求、不満を聞くことなく会社に追従する方向で運営がなされている。

すなわち、参加人組合の最高議決機関である大会は代議員制で行なわれ、代議員は分会又は支部の全組合員の直接無記名投票で選ばなければならないとされているが、このような選挙は一度も行なわれたことがなく、仕事待機者の中から会社指名により代議員が選ばれるのが通例である。また、評議委員会は、大会に代わり組合の重要業務について決議する機関とされているが、評議委員会を構成する評議委員についてはその選出規準さえ規約に明記されておらず、専ら被告が適宜指名して決めているのが実情である。更に、参加人組合の規約には分会又は支部機関の設置に関する定めが一切なく、分会又は支部の機関としては分会長がいるだけである。春闘や夏季および冬季の一時金その他の労働条件改善についても分会組合員の職場討議はなく、本部執行委員会で要求決定がなされており、しかも組合員が昇給や一時金等の被告の回答を知るのは、被告主催の役付者会議の場において管理職より報告がなされた時点であり、組合側からの団交状況の報告等は一切なされていない。

ところで、被告においては、昭和五二年一一月頃より艀部門から沿岸、船内部門への配転問題が生じた。昭和五三年二月一三日被告は艀部門の全労働者を招集して全体会議を開き、その席上、馬渕業務部次長は、「希望配転を募る。」旨発言し、配転後の労働条件について説明した上、「希望者が一〇名に満たない場合は、年の若い順から指名配転する。」旨述べた。その後同年三月一六日に開かれた艀部門の役付者会議において被告は、配転希望のあつた訴外大獄小四郎ら二名を配転することおよび今回は指名配転をしないが、同年春には指名配転を断行する旨発表したため、艀部門の労働者の不安は益々増大したが、参加人組合からは労働者に対し何の意見聴取も説明もなく、栃木合同分会長に至つては配転問題の存在さえ知らなかつた。

原告らは、右配転問題が発生する以前から、労働者の立場に立つ労働組合の必要性を痛感していたが、配転問題を契機として労働者の立場に立つ労働組合を自らの手で作り上げるべき必要性およびその緊急性を感じ、参加人組合を脱退して全港湾名古屋支部へ加入したのである。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  原告山下以外の原告らがいずれも昭和四二年四月一日被告に雇用され、艀船員として勤務していたこと、被告が港湾運送事業、倉庫業等を営み、従業員約三〇〇名を擁する資本金一億円の株式会社であることは、当株者間に争いがない。

二  原告山下の地位について

(一)  当事者間に争いのない事実

(1)  原告山下は、昭和三六年三月二七日、藤木海運に雇用され、艀船員として勤務していたが、昭和五一年八月二一日在籍出向であるか転籍であるかの点は別として、藤木海運から被告に移り、以来、被告から支給された被告のマーク入りの作業服、ヘルメツトを着用し、被告の指揮監督のもとに艀船員として他の被告の艀船員と同様の労働に従事し、被告から右労働の対価として賃金の支払を受けていたこと。

(2)  原告山下が被告に移るまでは賃金は月給制で毎月二五日に藤木海運から支給を受けていたが、被告に移つてからは日給月給制に変わり、毎月二七日に被告から支給を受けていたこと。

(3)  被告は、港湾労働法一三条一項に基づき、昭和五一年一二月六日、名古屋港労働公共職業安定所長に対し、原告山下を同年八月二一日に雇入れた労働者として届け出ていること。

(4)  被告は、昭和五三年三月三一日、原告山下に対し、野嵜業務部長を通じて他の原告らと同時に口頭で解雇の意思表示をするとともに、右同日付の内容証明郵便で解雇の意思表示をしたこと。また、右解雇に当つて被告は原告山下に対し、解雇予告手当および退職金を提供した上、右各金員を供託したが、その供託書には「供託者は被供託者の使用者である」との記載および「供託者が被供託者を解雇するに際し」との記載があること。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  成立に争いのない甲第七号証、証人吉成登志雄の証言によりいずれも真正に成立したものと認められる乙第一、第一九、第二〇、第二四、第三一、第三三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証、証人杉浦一弘の証言によりいずれも真正に成立したものと認められる乙第二一、第二三、第三〇、第三四号証、官署作成部分については成立に争いなく、その余の部分については右証人杉浦の証言により真正に成立したものと認められる乙第二九号証、証人倉地稔の証言により真正に成立したものと認められる乙第三八号証、右証人杉浦、同吉成、同倉地(後記措信しない部分を除く)の各証言および原告山下本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く)によれば、次の事実が認められる。

(1)  被告は、昭和四二年三月一四日訴外杤木汽船株式会社(以下杤木汽船という)保有の一般港湾運送事業免許、はしけ運送事業免許および沿岸荷役事業免許(限定)、訴外合同作業株式会社保有の船内荷役事業免許ならびに訴外株式会社共同組保有の沿岸荷役事業免許を集約して名古屋港における合理的かつ近代的な港湾運送体制を確立するため、杤木汽船、藤木海運等の出資により設立され、右各事業のほか倉庫業、自動車運送取扱事業等を営んでいる会社であり、同年四月一日から事業を開始した。

(2)  被告設立当時の被告の船内作業員、艀船員、沿岸作業員は、いずれも被告設立以前は杤木汽船、訴外合同作業株式会社および訴外株式会社共同組にそれぞれ勤務していた者であるが、杤木汽船および右共同組に勤務していた者は従前の勤務先を退職した上、新たに被告に入社し、右合同作業に勤務していた者は一旦出向先の藤木海運に戻つた上、再び被告に出向した。

(3)  藤木海運は、被告の発行済総株式の四〇パーセントを保有し、昭和五五年二月一五日現在において被告の取締役のうち五名、監査役のうち一名は藤木海運の出身者が占めており、また、昭和五四年一二月五日現在において被告の従業員のうちに藤木海運からの出向者が七一名(原告山下を除く)いる。一方、被告は、藤木海運からその艀取扱貨物作業の全部と船内取扱貨物作業の一部を下請しており、右下請作業の被告における仕事量は、被告の総仕事量の二〇パーセント強ないし三〇パーセントを占めている。

(4)  藤木海運の就業規則の一一条には「会社は業務の都合により団体組合又は関連会社に出向を命ずることができる。従業員は正当な理由なくしてこれを拒むことはできない。」旨の、一二条には「前条により出向を命ぜられた者の取扱いは別に定める出向者取扱規程による。」旨の規定があるところ、右の出向者取扱規定はいまだ制定されていないが、藤木海運と被告との間では、藤木海運から被告への出向従業員についてはこれまで左記のような一般的取扱がなされてきた。

(イ) 出向者は、藤木海運に在籍したまま被告に出向する。

(ロ) 出向者が被告から支給を受ける給与(諸手当を含む、以下同じ)、一時金の年間総額が、出向していなければ藤木海運から支給を受けたであろう給与等の年間総額(この額は、藤木海運が定めている各職種の格付基準表に基づいて当該出向者を、たとえば技能職〇号というように格付し、右格付に基づいて計算する)を下回る場合は、その差額分を藤木海運が補填して出向者に支払う。

(ハ) 出向者に対する退職金は、出向者の藤木海運と被告における勤続年数とを通算した上、藤木海運の退職金規定に従つて計算した金額を支給すべき退職金総額とし、そのうち被告に出向していた期間分については被告の退職金規定に基づいて計算した金額を被告が支払い、残額を藤木海運が支払う。したがつて、出向時点においては藤木海運から出向者に対して退職金は支払わない。なお、出向者が退職する場合は、退職願を藤木海運と被告の双方に提出する。

(ニ) 出向時点において出向者に年次有給休暇の使用残があるときは、出向後被告においてこれを行使することができる。

(ホ) 出向者は出向後も藤木海運の厚生施設を利用できる。

(ヘ) 出向者の健康保険は、出向後は被告において加入する。

(ト) 出向者は、藤木海運が出向者を必要とした場合又は被告の事業の縮少、廃止等の理由により被告が出向者を不要とした場合には藤木海運に復帰する。

(5)  原告山下が藤木海運に艀助船夫として入社した昭和三六年三月当時、藤木海運は三隻の艀を所有していたが、はしけ運送事業免許を有していなかつたことから、被告設立前は杤木汽船との間で、被告設立後は被告との間で、右三隻の艀につき乗組員付きの傭船契約を締結していた。したがつて、原告山下から藤木海運所属の五名の艀船員は、被告設立前は杤木汽船の、被告設立後は被告の艀部門の監督、助監督等の指揮命令を受けて艀運送業務に従事していた。

(6)  ところで、藤木海運は、昭和五一年八月、合理化対策の一環としてその所有の艀全部(三隻)を被告に売却することになり、これに伴つて艀郎門がなくなることになつたことから、被告に対し原告山下ら五名の艀船員の被告への出向受入方を打診したところ、被告から、艀船員の高齢化を防ぐために右五名のうち年齢の若い原告山下、訴外倉地稔、同天野国男の三名を受け入れたいとの返答があつた。

そこで、藤木海運の石田作業部長、杉浦一弘総務部次長兼人事課長(当時、以下杉浦次長という)らは、同年八月上旬頃と中旬頃の二回に亘り、前記原告山下ら三名に対し艀部門廃止の理由を説明するとともに、「従来どおり艀に乗りたいのであれば、被告に移つて欲しい。藤木海運に残りたいのであれば、沿岸作業部門か船内作業部門に回つて貰うしかない。被告に移つても、給与、一時金の年間支給額は低下しないようにし、もし低下した場合は低下分の補填を藤木海運が保障する。退職金は現時点で受取つてもよいが、勤続年数が二〇年を越えると支給率がよくなるので、藤木海運での年功を引継いで被告に移り、将来退職の時点で退職金を受取つてもよい。年功引継の点については被告に話がしてある。これまでは被告の沿岸作業部門や船内作業部門への応援は免除されていたが、被告に移つたら被告の他の従業員と同様に右各部門の応援にも行つて欲しい。」と述べた。これに対し、原告山下ら三名は、三名で相談した結果、「この先二〇年位もたてば移転時の約束は藤木海運に忘れられてしまつて藤木海運から退職金を貰えなくなつてしまうのではないか。」との意見も出たが、結局、「艀には十数年乗つているので、藤木海運の他の作業部門に変わるよりは、被告に移つた方がよい。現時点で退職金を貰つて藤木海運を退職し被告に入社すれば、また一年生から始めなければならないので、退職金は貰わずに藤木海運に籍を置いたまま被告に出向した方がよい。」ということに意見がまとまつたため、その旨杉浦次長らに返答した。

また、杉浦次長は、原告山下ら三名との話合いと並行して、被告の野嵜取締役業務部長(当時)と原告山下ら三名の出向後の待遇について協議した結果、原告山下ら三名を藤木海運と被告間の出向従業員に関する前記一般的取扱どおりの条件で被告に出向させる旨の合意が両会社間に成立した。

そこで、藤木海運は、同年八月二〇日その所有の艀三隻を被告に売却するとともに、翌二一日付で原告山下ら三名に対し被告への出向を命じ、原告山下ら三名は同日付で被告に出向したが、その際藤木海運から退職金は貰わなかつた。なお、出向期間については、藤木海運と被告との間でも、藤木海運と原告山下ら三名との間でも特に定められていなかつた。

(7)  原告山下ら三名は、被告に出向後は被告の沿岸作業部門や船内作業部門にも応援に行くようになり、また、組合の関係では、参加人組合藤木分会から同杤木合同分会に移つた。また、原告山下は、被告に出向後、藤木海運での年次有給休暇の使用残を被告において行使した。

(8)  藤木海運が人事管理のため保管している原告山下の人事記録簿の社内履歴欄には、昭和五一年九月一日付で被告へ出向した旨記載されていたが、昭和五四年四月一六日以後に、右出向年月日が昭和五一年八月二一日と訂正され、かつ、昭和五二年四月一日付で技能職二八号に格付された旨の記載が書き加えられた。

(9)  被告の総務部は、藤木海運からの出向者の藤木海運における格付表を保管しており、出向者の格付に変動があつた場合は藤木海運からその旨の連絡を受けている。そのため、被告の方では、藤木海運において決定された昇給額や一時金額の計算基準に基づいて各出向者毎に、出向していなければ藤木海運から支給を受けたであろう給与、一時金の額を試算することができ、被告からの年間支給額が右試算額を下回つている場合には、藤木海運に対し差額分の補填を請求している。

ところで、原告山下が昭和五一年九月から一一月までの三か月間に被告より支給を受けた給与(諸手当を含む、以下同じ)の一か月平均額は同年六月から八月までの三か月間に藤木海運から支給を受けた給与の一か月平均額より多く、同年一二月に被告および藤木海運から支給を受けた一時金の合計額も、藤木海運の支給基準に基づいて計算した金額を上回つていた。また、原告山下が、被告から昭和五二年一月から同年一二月までの間に支給を受けた給与、一時金の合計額および昭和五三年一月から同年三月までの間に支給を受けた給与の合計額も、出向していなければ右各期間内に藤木海運から支給を受けたであろう給与等の合計額より多かつたため、原告山下については差額補填の必要を生じなかつた。

(10)  原告山下は、昭和五三年三月一〇日、被告の馬渕業務部次長に対し、自己の籍が被告にあるのか、それとも藤木海運にあるのかの点を確かめたところ、その場にいた事実上の監督深谷能代は、原告山下の籍は被告にある旨答えた。

(11)  被告は、昭和五三年三月三一日午前一〇時頃藤木海運に対し書面をもつて原告山下を参加人組合との労働協約九条に基づき同日付で解雇する旨通知した。右通知を受けた藤木海運は急拠杉浦次長をして被告の野嵜取締役業務部長と相談せしめたが、藤木海運としても参加人組合との間で被告が締結しているのと同様のユ・シ協定を含む労働協約を締結している関係上、原告山下を解雇せざるを得ないとの結論に達していたため、同日午後三時頃、杉浦次長を通じて原告山下に対し口頭で解雇の意思表示をするとともに、前記の藤木海運と被告間の出向従業員に関する取扱に基づき藤木海運が支払うべき退職金のほか退職積立金および互助会積立金を現実に提供した。しかし、原告山下が右退職金等の受領を拒絶したため、藤木海運は、同日これを名古屋法務局に供託し、更に、念のため原告山下に対し同日付の内容証明郵便をもつて解雇の通告をした。

以上の事実が認められ、証人倉地稔の証言および原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。

(三)  前項において認定した(1)ないし(9)および(11)の事実を総合すると、原告山下は、昭和五一年八月二一日以後は、藤木海運の従業員としての地位を保有しつつ被告の指揮監督のもとに被告に労務を提供するようになつたものであつて、右同日付をもつて被告にいわゆる在籍出向したものと認めるのが相当である。前記(一)項記載の当事者間に争いのない事実および前項(10)の事実をもつてしても右認定を左右するに足りない。原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。なお、原告山下が昭和五一年八月二〇日以前も、被告設立前は杤木汽船の、被告設立後は被告の艀部門の監督、助監督等の指揮命令を受けて艀運送業務に従事していたことは前認定のとおりであるが、これは、藤木海運がはしけ運送事業免許を有していなかつたことから、従来より杤木汽船や被告との間で乗組員付きの艀の傭船契約を締結していたためであつて、原告山下が杤木汽船や被告の艀部門の監督らの指揮命令を受けて労働に従事すること自体が原告山下と藤木海運間の労働契約の内容となつていたものであり、労務の提供先はあくまでも被告ではなく藤木海運であつたというべきである。

以上によると原告山下は藤木海運との間では原告山下を労働者、藤木海運を使用者とする労働契約締結の当事者としての関係(基本的在籍関係)、被告との間では原告山下を出向労働者、被告を右出向労働者に対し労務指揮をし賃金支払をする者とする出向労働における指揮従属の関係(出向労働関係)が複合的に成立し、右出向労働関係は基本的在籍関係を前提として成立する関係にあつたとみるのが相当である。

原告山下は出向労働関係成立後被告との間で労働契約が成立したと主張するが同事実を認定するに足る証拠はない。

前認定のとおり、原告山下は出向後被告の指揮監督を受けて艀船員として被告に対し労務を提供し、被告から右労務提供の対価として賃金を受けてきた事実が認められるが、これらは出向労働関係の内容をなすものであり、右事実があるからといつて原告山下と藤木海運との間の労働契約(基本的在籍関係)と並んで原告山下と被告との間にも出向と同時若しくはその後に労働契約が二重に成立したものと認めることはできない。

三  本件解雇の効力について

(一)  原告山下以外の原告らに対する解雇について

1  被告の抗弁一(一)(二)及び(四)の事実は当事者間に争いがない。

2  被告は右原告らの参加人組合からの脱退は、正当な理由のないもので本件ユ・シ協定に定める「故なく」脱退した場合に該当すると主張する。そして同協定によると、「故なく」脱退した者に対して解雇する旨が定められていて正当事由又は合理的理由のある脱退を除外する趣旨であることが明らかである。そこで本件において右原告らの脱退に右の如き脱退を正当視し、同協定の適用を排除する事由があるか否か、即ち本件ユ・シ協定条項への該当性につきまず判断するに、一般に組合員は加入組合から脱退する自由を有すると解されるところ、当該組合が使用者との間でユ・シ協定を締結している場合であつても組合員の脱退は本来自由であり、ユ・シ協定適用の危険があることは格別脱退そのものは有効に成立すると解すべきである。従つてユ・シ協定締結下の組合から脱退する場合、自己の自由なる意思に基づいて脱退したというだけでは、ユ・シ協定の適用除外事由とすることはできず、従つてユ・シ協定に定める故なき脱退とは、当該組合に留まることが不可能若しくは著しく困難と思料される客観的事情が存在しない場合の脱退をいうものと解するのを相当とする。

そこで本件につき判断するに、弁論の全趣旨に照し真正に成立したと認められる甲第一号証の一によると、右原告らは、参加人組合の活動・運営などが極めて不満であるとの理由により脱退したことが認められるから、自己の自由意思に基づいたものではあるがそれ以上のものではなく、参加人組合に留まることが不可能若しくは著しく困難と思料される客観的事情によるものとは到底いい難い。従つて右原告らは、本件脱退を前記の「不満」を理由に、正当な理由に基づく脱退であるとし、本件ユ・シ協定にそもそも該当しない場合であると主張することはできない。結局右原告らの脱退は「故なき」ものであり、本件ユ・シ協定(第九条第(3)本文)に該当する場合であるといわねばならない。

3  右原告らは再抗弁として、参加人組合から脱退した後全港湾名古屋支部に加入したから、かかる者に対してはユ・シ協定は適用さるべきでない旨主張する。そして右原告らが参加人組合を脱退するとともに直ちに全港湾名古屋支部に加入した事実は当事者間に争いがない。そこで脱退者が他の労働組合に加入した場合にもユ・シ協定は追及して適用されるか否かにつき判断するにユ・シ協定は、労働者が労働組合の組合員たる資格を取得せず又はこれを失つた場合に、使用者をして当該労働者との雇用関係を終了させることにより間接的に労働組合の組織の拡大強化をはかろうとする制度であるから、ユ・シ協定締結組合に所属する労働者の団体権を維持強化する役割を果たしている点において、労働者の団結権を保障している憲法二八条の趣旨に沿うものというべきである。そしてこのようにユ・シ協定の効力を承認する限り、ユ・シ協定締結組合から故なく脱退した組合員に対しては、脱退後の行動如何に拘わらず規定上は脱退自体を要件としてユ・シ協定の効力が及ぶと解さなければならないのであるが、脱退後直ちに他の労働組合に加入した者に対しては、その余の脱退者と特に区別し、〈1〉脱退者が締結組合から直ちに他の労働組合に加入することは結局自己の加入すべき労働組合を選択した結果に外ならず、右選択権は団結権の範囲内にあると解されること、〈2〉脱退後直ちに他の労働組合に加入した者は帰属労働組合の変動を生じたに過ぎず組織帰属性は失われていないこと、〈3〉ユ・シ協定による解雇を認めると、締結組合に優越的地位を認める結果となり、複数組合併存下においてはかかる不平等は容認できないこと等の理由から、脱退後直ちに他の労働組合に加入した者に対してユ・シ協定を適用しこれを根拠に解雇するのは相当でないと一般に観念されており、それは現在において社会通念にまでなつているというべきである。かかる事情を斟酌して判断すると、参加人組合から脱退後直ちに全港湾名古屋支部に加入した右原告らに対しユ・シ協定を適用し解雇をもつて臨むことは、著しく妥当を欠き社会通念上是認できない措置であるといわねばならない。

被告は、右原告らの脱退は全港湾名古屋支部が参加人組合の組織を妨害する意図のもとで行なつた行動の結果である旨主張する。しかしながら労働組合は独自の目的、方針のもとで自主的に活動することが許され、他の労働組合との間でも一定限度内でいわゆる競争をすることも許されていると解され、これを是認する以上、組合員の労働組合間の移動は右活動の結果として一般に承認せざるを得ないところである。もつとも、右競争が限度を越え組織間の競争激化が違法な態様による組合員獲得競争に発展し、複数組合共存の秩序が違法な手段によつて破壊されると判断されるに至つたような場合には、脱退者に対するユ・シ協定不適用を支持する前記の社会通念は後退し、かかる場合には脱退者に対しユ・シ協定を適用することも許されると解されようが、被告の前記組織妨害の主張はかかる限度を超えた場合を指してのものとは解されない。また参加人は、原告らのうちには参加人組合を「つぶしてやる」と公言する者がいる旨主張するが、それが誰であるかの特定がない。従つてその余の点について判断するまでもなく右各主張は理由がない。

4  すると被告の右原告らに対する本件解雇は無効である。

(二)  原告山下に対する解雇について

原告山下が参加人組合を昭和五三年三月一七日ごろ脱退しそのころ全港湾名古屋支部に加入した事実は当事者間に争いがない。

そして本件において参加人組合を脱退したことを理由とする解雇が許されないことは原告山下以外の原告らの解雇について判断したのと同様である。するとその余の点を判断するまでもなく原告山下に対する本件解雇は無効である。

四  原告らの被告に対する賃金等の請求権について

前認定のとおり本件解雇は無効であるから、原告らは本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日以降民法五三六条二項により被告に対し賃金等の請求権を有するというべきである。以下その額につき判断する。

(一)  月額給与について

(1)  原告らがいずれも本件解雇当時毎月二七日限り、前月二一日から当月二〇日までの分の月額給与の支払を受けていたこと、被告が昭和五三年から同五五年までの間毎年月額給与の昇給をしており、毎年四月から従業員に対し昇給額を支給していること、原告大西が昭和五三年四月一日以降も引続き被告の従業員としての地位を有していた場合の同原告の昭和五三年度ないし同五五年度の月額給与および昭和五三年四月分より同五五年九月分までの間の月額給与の合計額が別紙(一)の原告大西欄記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(2)  そこで、その余の原告らの昭和五三年度ないし同五五年度の月額給与および昭和五三年四月より同五五年九月までの間の月額給与の合計額について以下判断する。

(イ) 昭和五三年度の月額給与額

原告らの本件解雇直前三か月間の月額給与の平均額ならびに原告らの本件解雇当時およびそれ以降の役職、扶養家族が原告らの主張のとおりであり、昭和五三年度の月額給与の昇給基準が、昇給額の計算方式のうち基本給日額部分を除いて原告ら主張のとおりであつたことは、当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第三九号証の一ないし三、乙第四〇ないし第四二号証によれば、右計算方式のうち基本給日額については被告主張のとおりの方法により勤怠査定減額および勤務評定加減給がなされていること、原告水谷以外の原告らについては昭和五二年三月二一日から同五三年三月二〇日までの間に欠勤がなかつたが、原告水谷については公傷による欠勤が四四日あつたこと、原告らはいずれも昭和五三年三月三一日をもつて解雇されたため、昭和五三年度月額給与改定時における原告らの勤務評定はなされていないが、昭和五二年冬季一時金支給の際なされた三項目三点法による原告らの勤務評定資料は被告に存しており、それによれば、原告大西以外の原告らの平均評点は被告主張のとおりであつたことが認められる。

右認定事実によれば、昭和五三年度月額給与改定時の勤務評定加減給は、昭和五二年冬季一時金支給の際なされた勤務評定に基づいてするのが相当というべきである。

以上によれば、原告大西以外の原告らの昭和五三年度の月額給与の昇給額は別紙(四)記載のとおりであり、同年度の月額給与額は別紙(一二)記載のとおりであることが認められる。

(ロ) 昭和五四年度の月額給与額

昭和五四年度の月額給与の昇給基準が、昇給額の計算方式のうちの基本給日額部分を除いて原告ら主張のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四四、第四五号証によれば、右計算方式のうち基本給日額については被告主張のとおりの方法により勤怠査定減額および勤務評定加減給がなされていること、原告らの昭和五三年三月二一日から同月三一日までの間の勤怠記録は被告に存するが、同年四月一日から昭和五四年三月二〇日までの間の勤怠記録はなく、また、昭和五四年月額給与改定時における原告らの勤務評定もなされていないことが認められる。

右認定事実によれば、昭和五四年度月額給与改定時の原告らの勤怠査定は、いずれも一〇〇パーセント出勤とみなし、勤務評定加減給は昭和五二年冬季一時金支給の際の勤務評定に基づいてするのが相当というべきである。

ところで、原告須甲は昭和五五年一月に扶養家族(妻)が一名生じたことを理由に、原告山下は昭和五四年八月に扶養家族(子)が一名増加したことを理由にそれぞれその分の家族手当を請求しているが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四八号証によれば、被告においては家族手当は扶養家族の発生、増加につき当該従業員から被告に対して届出がなされて始めて届出がなされた月から支給されることになつていることが認められるところ、右原告両名が昭和五四年度中に被告に対し右届出をしたことを認めるに足る証拠はない。

以上によれば、原告大西以外の原告らの昭和五四年度の月額給与の昇給額は別表(五)記載のとおりであり、同年度の月額給与額は別表(一二)記載のとおりであることが認められる。

(ハ) 昭和五五年度の月額給与額

昭和五五年度の月額給与の昇給基準が、昇給額の計算方式のうちの基本給日額部分を除いて原告ら主張のとおりであつたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四七号証、前記乙第四八号証によれば、右計算方式のうち基本給日額については被告主張のとおりの方法により勤怠査定減額および勤務評定加減給がなされていること、原告らについては昭和五四年三月二一日から同五五年三月二〇日までの間の勤怠記録は存せず、昭和五五年度月額給与改定時における勤務評定もなされていないことが認められる。

右認定事実によれば、昭和五五年月額給与改定時の原告らの勤怠査定はいずれも一〇〇パーセント出勤とみなし、勤務評定加減給は昭和五二年冬季一時金支給の際の勤務評定に基づいてするのが相当というべきである。

ところで、原告らを申請人、被告を被申請人とする当裁判所昭和五五年(ヨ)第九七一号賃金仮払い仮処分申請事件の申請書中に、原告須甲、同山下については前記の扶養家族の発生、増加があつたためその分の家族手当を含む貸金の仮払いを求める旨の記載があり、かつ、右申請書が昭和五五年七月一六日に被告に送達されたことは、当裁判所に顕著な事実であるから、右申請書の送達により、原告須甲、同山下から被告に対し前記の扶養家族の発生、増加について届出がなされたものと認めるのが相当である(右申請書送達前に右原告両名が被告に対し右届出をしたことを認めるに足る証拠はない。)。

以上によれば、原告大西以外の原告らの昭和五五年度の月額給与の昇給額は、別表(六)記載のとおり(但し、原告須甲については昭和五五年七月以降は家族手当が七〇〇〇円つくため昇給額が一万五五〇〇円となり、原告山下については同月以降は家族手当が二〇〇〇円増加して四〇〇〇円になるため昇給額が一万二五〇〇円となる)であり、同年度の月額給与額は別表(一二)記載のとおりであることが認められる。

(ニ) 昭和五三年四月分より同五五年九月分までの間の月額給与の合計額

以上によれば、原告大西以外の原告らの右期間内の月額給与の合計額は、別表(一二)記載のとおりとなる。

(3)  原告らの被告に対する月額給与請求権の額

成立に争いのない甲第六号証の一ないし六によれば、被告は原告らに対し本件解雇時に昭和五三年三月二一日から同月三一日までの間の未払給与として別表(一二)の被告供託分欄記載の金員を提供したが、受領拒絶されたのでこれを名古屋法務局に供託したことが認められるから、原告らの昭和五三年四月分より同五五年九月分までの間の月額給与の合計額から右供託額をそれぞれ控除すると、控除後の合計額は右別表記載のとおりとなる。

よつて、原告らは被告に対し、本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日から同五五年九月二〇日までの間の月額給与分としてそれぞれ別表(一二)の供託分控除後の合計額欄記載の金員の、昭和五五年九月二一日から同五六年四月二〇日までの間の月額給与分としてそれぞれ一か月当り別紙債権目録(二)記載の金額の割合による金員の支払を請求する権利を有するというべきである。

ところで、本件口頭弁論終結時である昭和五六年五月二五日現在において未だ弁済期の到来していない昭和五六年四月二一日以降の月額給与のうち本判決確定の日までの分については、被告が原告らの就労を拒否している態度に照らして予めてその請求をする必要があるというべきである。しかし、本判決確定の日の翌日以降の月額給与の支払請求については、本訴において予めその請求をする必要は認められないから右請求は、訴の利益を欠き、却下を免れない。

(二)  一時金について

(1)  被告が毎年六月一〇日と一二月一〇日に一時金を支給していること、原告大西が昭和五三年四月一日以降も引続き被告の従業員としての地位を有していた場合の同原告の昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金の額およびその合計額が別表(三)の原告大西欄記載のとおりであることは、当事者間に争いがない。

(2)  そこで、その余の原告らの昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金額について以下判断する。

(イ) 前記乙第四一、第四二、第四四、第四五、第四七、第四八号証および弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四三、第四六号証によれば、原告らを除く艀船員に支給された昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金の計算方式はいずれも被告主張のとおりであつたこと、昭和五三年夏季一時金支給の際の勤怠率査定の対象期間である昭和五二年九月二一日から同五三年三月二〇日までの間に原告らにはいずれも欠勤がなかつたこと、原告らはいずれも昭和五三年三月三一日をもつて解雇されたため、同年四月以降原告らの勤務評定はなされていないことが認められる。

(ロ) 原告らの昭和五二年度の基本給日額が別表(二)記載のとおりであつたこと、原告杉浦、同高津は主任であるところ、昭和五三年度ないし同五五年度の主任手当(役付手当)がいずれも一万五〇〇〇円であつたことおよび原告らの技能手当がいずれも六〇〇〇円であることは、当事者間に争いがない。

(ハ) ところで、昭和五三年度ないし同五五年度の月額給与改定による原告大西以外の原告らの基本給日額の昇給額については先に認定したとおりであるから、右原告らの右各年度の基本日額は、別表(七)、(九)、(一一)、の各(注)1記載のとおりとなる。

(ニ) 次に、昭和五三年冬季ないし同五五年夏季の各一時金計算方式における原告らの勤怠率については、原告らは被告の責に帰すべき事由により就労し得なかつたのであるから、いずれも一〇〇パーセント出勤とするのが相当である。また、昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金計算方式における勤務評価率については、被告主張の方法により算出するのが相当であり、前認定の昭和五二年冬季一時金支給の際の三項目三点法による勤務評定に基づく原告大西以外の原告らの平均評点を五項目五点法による評点に引直して右原告らの一項目当りの平均評定を求めると被告主張のとおりとなるゥら、昭和五三年夏季ないし同五五年夏季の各一時金の支給率は被告主張のとおりであることが認められる。

(ホ) 以上によれば、原告大西以外の原告らの昭和五三年夏季ないし昭和五五年夏季の各一時金の額(円未満の端数は切捨て)は、原告山下の昭和五五年夏季一時金額を除き別表(七)ないし(一一)記載のとおりであり、原告山下の右一時金額は三五万六七四八円であることが認められる。

(3)  よつて、昭和五三年夏季ないし同五五年冬季の各一時金分として被告に対し、原告杉浦は二三五万二二七五円、同須甲は一六九万四九〇八円、同大西は二一四万三七二五円、同高津は二一六万五五七七円、同水谷は一七九万五四三六円、同山下は一八〇七四〇三円の支払を請求する権利を有するというべきである。

(三)  諸手当について

(1)  支給金の正確な名称の点は別として、被告が毎年四月に花見代(被告の主張によれば慰安会費)として作業職の全従業員に対し一万円宛を、毎年七月二〇日の海の記念日に祝儀として全従業員に対し五〇〇〇円宛を、毎年一月四日に初出手当として全従業員に対し一〇〇〇円宛を支給しているほか、昭和五四年春闘が解決した際に解決一時金(被告の主張では昇給一時金)として作業職の全従業員に対し一律四万円を支給したこと、昭和五三年四月一日から同五五年九月三〇日までの間に支給された右諸手当の作業職従業員一人当りの合計額が八万七〇〇〇円であつたことは、当事者間に争いがない。

(2)  被告が特別慶弔見舞金規定に基づき結婚祝として一万円以上を、子女の出産祝として一子につき二〇〇〇円以上を支給していること、原告須甲が昭和五五年一月に結婚し、原告山下の妻が昭和五四年八月に子を出産したことは当事者間に争いがないところ、被告は、右祝金は当該従業員から被告に対し婚姻届出や出産届出がなされない限り支払わない取扱であると主張するが、前記の賃金仮払い仮処分申請書の送達により原告須甲から婚姻届出が、同山下から出産届出が被告に対してなされたものと認めるのが相当である。

(3)  原告らは、被告が昭和五三年以降も毎年七月に行楽代として全従業員に対し原告ら主張の額の金員を支給していると主張するが、右主張事実を認めるに足る証拠はない。

(4)  以上によれば、諸手当分として被告に対し、原告須甲は九万七〇〇〇円、同山下は八万九〇〇〇円、その余の原告らはいずれも八万七〇〇〇円の支払を請求する権利を有するというべきである。

(四)  まとめ

したがつて、本件解雇の日の翌日である昭和五三年四月一日から同五五年九月二〇日までの間の被告の原告ら各自に対する月額給与、一時金、諸手当の未払金総額は、別紙債権目録(一)記載のとおりである。また、同年九月二一日以降の原告らの月額給与額は、別紙債権目録(二)記載のとおりである。

五  結論

以上の次第であつて、原告らの本訴請求は、原告山下以外の原告らが被告に対しそれぞれ労働契約上の権利を有する地位にあることおよび原告山下が被告に対し出向労働者としての権利を有する地位にあることの確認を求め、かつ、被告に対し別紙債権目録(一)記載の金員および昭和五五年九月二一日以降本判決確定の日まで毎翌月二七日限り一か月当り別紙債権目録(二)記載の金額の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、被告に対し本判決確定の日の翌日からの賃金の支払を求める部分は訴の利益を欠くからこれを却下し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九四条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項(職権)を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 井上孝一 棚橋健二 福崎伸一郎)

別紙〈省略〉

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